【 2001年夏 早野ゼミ どろんこ村合宿レポートへのコメント  】


 レポート課題の意図

 以下の文章は、2001年の9月5,6,7日に渥美半島の農業体験施設「どろんこ村」に行った時に課題として出したレポートテーマ「どろんこ村の批判点を上げよ」に従って、参加者が書いたレポートよりの抜粋文です。このレポートテーマを出した意図は、ものを考えるとき、ものごとをそのまま受け入れるのではなく、一度、否定的な見方をしてから、それをくぐり抜けて発展的に見ていくような発想の仕方をしてほしいと思ったからです。学校教育の中では、知識を覚え、技術を覚えるという教育訓練はされてきていると思いますが、大学のひとつの役割は、最初に答えがあるわけではなく、自分でテーマを発見し、自分で深く考える力を養うことにあると考えています。 また、それは、「どろんこ村」にとっても、外部からの意見を聞くという点で有意義なことであると思われました。
以下は学生の了解をとって載せています。また、終わりに、早野よりどろんこ村へのメッセージを入れています。

 学生の感想と早野のコメント

この夏休み、私は渥美半島にあるどろんこ村で二泊三日の農業体験をしました。どろんこ村は、とてもたくさんの自然に囲まれていました。ずっとこの機会を楽しみにしていたので、とても充実した三日間を送ることができました。どろんこ村での体験、田んぼに入って稲刈りをしたことや、ねぎを植えたこと、鶏小屋に入ったことなどは、どれも初めてで新鮮でした。そして作業しながら多くの自然を感じることができました。どろんこ村では、この畑でとれた野菜や飼育している鶏の肉、卵を食べます。どろんこ村は自分達でつくったものを使いますが、もちろん他の家と変わらないテレビや冷蔵庫もありました。これは、批判するところなのだろうかと考えました。でも、私は、実際は、こういう生活をしているのか、と思ったくらいで、悪いとはまったく思いませんでした。それに、自分とは考えが違っていても批判せずに認めているところや、きちんと理解できるかわかりませんが、農業・どろんこ村のあり方について考えをもっているところがすごいなと思いました。
 毎日すると、農業はとても辛くて、たまにこうして体験するからこそ楽しいんだ、とたった三日間で感じました。そして、どろんこ村のように、農業や自然に触れることのできる場所がもっと身近なところに必要だと思いました。より多くの人たちに、農業を通して新しい何かを発見したり、たくさんの自然を感じてほしいと思います。
 初めてのことばかりで楽しいだけで過ぎてしまった三日間でしたが、農業を体験できてよかったと思います。これからもホームページなどで交流していけたらと思いました。そして、どろんこ村の幅広い活動を期待し楽しみにしています。


今回の合宿で本当にどろんこ村の人達にはお世話になりました。農業体験もさせていただいて、ご飯もとてもおいしかったし、格安の値段であそこまでしていただいて感謝感謝です。
 どろんこ村の批判点というのは、とても難しいです。強いてあげれば、もっと全国のみんなにどろんこ村のことを知ってもらえるような努力をしたほうがいいのではないでしょうか。えらそうにいって申し訳ないですが、、、、、、。どろんこ村のことは本当に批判点が見つからないくらい素晴らしいところだと思います。都会から田舎を求めて移り住むという人たちが増えている今、移り住むまではちょっと、、、、、、、という人たちのためにこのどろんこ村の農業体験というのはぴったりと思うのです。お金を払えば自分の田んぼももてるし。
 でも、どろんこ村はホームページが開設されていますがリンクとかもなくていまいちどろんこ村の情報が広まっていないように思います。だから、もっと農業系のホームページにリンクしてもらうとか、雑誌やテレビなどに売り込むとかそういうことをしていくと農業体験の人やケーキとかを食べにくる人が増えて収入も増えていくと思います。そうしたらもっと従業員も増えるし、今人手が足りなくて活用されていない土地も活用されてくると思います。
私はどろんこ村のことをより多くの人たちに知ってもらいたいと思っています。そして農業をする人たちが増えていったらいいなと思います。
そして、先生が合宿のとき事例にあげていた「田んぼに草が生えている」ということですが、それは、本当に悪いことでしょうか。私はあれだけ広い土地をもっていて働く人数も限られてくると、それは仕方がないことのように思います。逆に除草剤のような農薬を使ってないという証拠だと思うので、悪いことだと思いません。
私がこの合宿で一番印象に残っている話は、「弘さんは自分の好きな仕事を仕事にしている」という話です。なぜかというと自分の好きなことを仕事にできるということは、とても幸せなことだと思うからです。とても羨ましいと思う。私も自分の好きなことや趣味でご飯を食べていけたらいいなと思います。でも私にはそれを売り物にできるほど技術がありません。だからそれは現実的に考えるとかなり無理のある話なので自分のやりたいことを仕事にしている人たちを見るととても羨ましく、憧れてしまいます。
今回、どろんこ村に行って農業の大切さなどはとてもよくわかりました。でも、私はそれを職業にすることは体力的にも精神的にも無理だと思いました。だから、これからは、直接的な関わりではなく、間接的な関わりをしていきたいと思います。例えば、外国産の野菜ではなく国産の野菜を買うように心がけたり、もっと日本の農業のことを学んだりしていこうと思います。


地元を離れて1年半がたつが長期休暇を利用して帰省するたびに田畑が減り、アパートや商業地が増え、道路が広く新しくなってきていることを感じる。また、自分の家の田畑や山も両親はやらないため、今は親戚が使っている状態だ。今後その土地はどうしていくのかわからない。旬の野菜もわからない、社会科の稲作の成長もビデオで学習する、農業に触れることが少なくなってきている今、どろんこ村での農業体験はとても貴重なものだった。
 まず、ぐちゃぐちゃの田んぼの中に素足で入り、鎌で稲刈りをしていたのが楽しかった。今まで親戚が作ったお米を食べてきたので生産者が見ることはできたが、実際米の重みを感じて食べることができなかった。たった1レーンを刈っただけだったが、昔の人はお米をどれだけ大切にしてきたか感じることができた。また、食事はすべて自分の畑で取れたものを使っていただけでなく、国産のウコンを使ってある無添加のカレー粉を使ってあることなど様々なところに渡部さんの気持ちが感じられた。食事当番の時もいろいろな豆知識を教えてくださった。しかし、もう少し鳥の解体をしたり、畑の仕事をしたり体験ができればよかった。いろいろなことを感じることができたが、頭の中の整理がつかず、もやもやしたまま時間がきてしまったという感じだったからだ。
 農業体験を終えて自然に対する考え方が少し変わった。スーパーに行っても、以前は値段しか見ず、買い物をしていたが、今は産地、添加物の有無など値段だけでなく表示全部を見るようになった。また、地元に帰り田畑を手伝ってみよう、続けることができるのであれば続けて後の世代につなげて行こうと思っている。生きることの大切さ、自分たちは他の命を奪って生きていることをもっと考えていかなければならない。これを考える機会がどろんこ村の農業体験にはあると思う。


9月5日、どろんこ村に向けて出発しました。一日目で楽しかったのは田んぼで稲を縛る縄を作ったことです。最初は要領がわからず、うまくいかなくて、面倒くさいと思っていましたが、仕組みがわかると簡単で楽しくなりました。そのあとの長縄跳びが思い出し楽しかったです。みんなも混ざって一緒にやりたかったです。たまごとりや餌やり、稲仮など今まで体験したことのないことができ、久しぶりにはしゃいでいる自分がいました。二日目は朝から筋肉痛に悩まされました。まだ若いなと少しうれしくもありました。お昼の食事当番だったのでみんなよりも先に家に帰り、準備しました。その時、ちょっとしたぶどう狩をしていて、満足していました。その夜は、肝だめしをしました。めちゃくちゃ怖くてかなり叫びました。
 どろんこ村の批判点としては、夜道が暗すぎることです。それが当たり前かもしれませんが、暗くて足元が見えないので転んで怪我をしてしまう気がしました。他には思いつきません。


「どろんこ村」では、日本の伝統の原点、生産の場としての田ではなく、教育の場・学びの場として野田を目指している。どろんこ村での体験は、私にとって普段とは違った楽しさを思い出させてくれた。私の日常での楽しみと言えば、テレビ・ビデオ・カラオケ・ボーリングといったものだ。裸足でドロを踏み、稲を刈る。足の指の間からドロがニュルとでるあの懐かしい感覚。しかし、どろんこ村では体験を通して私のように感じて帰っていくことを望んでいるのだろうか。つまり、ただ単に自然とのふれあいを大切にしているのか、ということだ。最終的にはどんなことを伝えて、何を学んでいってほしいのだろう。私はこの体験でもちろん農業の大切さは感じたが、それと同時にまったく非日常的なものとしてとらえていた。子どもなら一時の遊びとしてとらえる子もいるかもしれない。
 稲刈りをした時、刈りやすいように稲に間隔をあけていると言っていたが、そのままを体験させるべきだと感じた。もっと農業としての大切な部分も伝えてよいと考える。私自身は、稲刈りを稲干しを主に体験してみて、せっかく農業を体験するなら、植えるところから、育てて、収穫、売るところまで関われたら、もっと感じるものも違ってくるのではないかと思った。
 よって、昔は使っていた田を現在は常に使うことはしないということも疑問に思った。農業事態を小規模にしない、そして、体験に来る子が非日常的な体験としてとらえることを避ける、もっといい方法を目指してほしい。さらに、環境問題に関する点で見てみると、常についているクーラーは気になった。かなり多かった車での往復も、普段からそうなのかと今、思ってしまう。
 この体験で私自身は農業体験は好きだったけど、ずっとは無理だとはっきりわかった。しかし、黙々と自然と向き合う感じがとても好きだし、ゼミの仲間とも今までよりは話せた。プラスなところが多い分、マイナス面を書くのは難しいことだった。

<早野コメント>
農業の体験にくることが、遊び、非日常的世界になっているという批判ですね。農業としての大切な部分というのがどういうところだと思いますか。どろんこ村の田んぼの学校は、植えるところから収穫までやっていますが、それとは、また、違うということでしょうか。確かに、いつも行くときは、華やかなお祭りのような感じがしますが、日常は、もっと地味な仕事の部分があるでしょう。その部分も含めて、伝えるべきということでしょうか?
         

3日間あっという間に過ぎて、どろんこ村に対して批判点はあまり浮かんできません。しかし、批判点というか「こうしたらもっと自然にやさしい生活ができるのではないか」という点で気がついたことを述べてみたいと思います。まず、畑作業中や、食事の時、よく蚊に刺されて、痒くて仕方なかったです。蚊から体を守るには、長袖のシャツを着たり、長ズボンをはいたり、蚊取り線香を使うと思います。それ以外の方法で、昔の人の生活の知恵から学んで実践するのもおもしろいのではないかと思いました。私の祖母に聞いたところ、昔は、蚊よけに、よもぎの葉を体に塗ったり、火で燃やしたそうです。毎回、毎回、これを実践するのは、難しいと思いますが、知っているだけでも「いざ」という時に役に立つのではと思います。
 また、卵の殻をすぐ捨ててしまうのは、もったいないと思いました。うちでは、殻を磨き粉として使うときもあります。殻とほんの少しの水を麦の容器に入れて、ふたをして振るだけで、茶滓がとれ、きれいになります。どろんこ村では、たくさんの卵の殻があったので、肥料にするだけでなく、磨き粉としても使用できるのではないかと思いました。
 また、米のとぎ汁を捨てないで、とっておき、その汁で汚れた食器を洗うのもよいと聞きました。食器のすすぎの時だけ水を使うので、無駄に水を使わないでよいと思いました。
 「自然に優しく」という生活は、現代生活ではとても難しいと思います。だから、どこかで折り合いをつけなければ、生活できないと感じました。でも、どろんこ村では、商売として最低限のところで折り合いをつけていると思いました。そこが、重要なところだと思いました。
 最後に、とってきた農作物を新鮮なままいただけるおいしさは、格別です。農家がもっと消費者と身近な存在になることが、必要だと思いました。私たちは生きるために、たくさんの命をいただいています。それに、食卓に食べ物が並ぶ前にも農家の方によって多くの時間と手が加えられていることも忘れてはならないと思います。

<早野コメント>
商売として最低限の折り合いをつけているというところがありますね。そうでなければ、仙人のような生活をしなければなりません。大事なことは、その矛盾を意識して、どろんこ村の人たちがやっているということではないでしょうか。


「どろんこ村」における農業体験は、普段触れられないたんぼや畑の土に直接触れ、昔から行われていた作物の循環を知ることができるよい機会だと思う。その方法も採算性を重視したものではなく、「農業を知る」という体験性が重視されている。ゼミ合宿初日の座談会でも小笠原さんや渡部さんが話されていたように「次世代に伝える農業」や「農業を通しての教育・豊かな感情形成」を目的としていることはまだ、始まって数年の「どろんこ村」ではあるが実際に体験してもらってその意図は伝わってきた。
 このレポートにおいて「どろんこ村を批判しなさい」というテーマであったが、なかなか批判点や矛盾点が見つからなかったので、改善点(こうしたらいいのではないか)について述べていきたい。
 二日間の農業体験において、稲刈りやネギ植え、稲の乾燥、シフォンケーキ作り、畑で取れたものを使った食事の準備など様々なことを体験した。そのひとつひとつは中身のあるものだったと言えると思うが、その他に「学習会」や「作物の循環」「自給自足」についてなどを図解したパネルなどを置いた「学習室」のようなものがあってもいいのではないか。また、そこには、農業に関する本を置いたり、どろんこ村の仕組みについて説明したものを展示し、合宿で行った座談会や学習発表会をしてみてはどうだろうか。ただ、体験するだけではなくて人と話し合ったり、意見を交わすことによっても農業について知る機会が増えるのではないだろうか。今の「どろんこ村」の状況では、一農家でしかないので人員も少なく、他に仕事があるわけでもないので、自分たちの生活も農業によって支えていかなければならないとなると「どろんこ村」の規模拡大となると大変かもしれないが、夢を持ってやっていってほしいと思う。

<早野コメント>
「学習室」の案はなかなかよいかもしれません。体験するだけでなく、体験したことを知識の言葉で置き換えるということはとても大事だと思います。どろんこ村の人たちは、「感性で伝わることがある」とよく言われます。確かにそう思いますが、僕は、言葉にして、それが分かるということも大事だと思っています。

二泊三日のどろんこ村での生活を批判的な目でみると課題は、とても困難なように思えた。それまで、それほど変化のないアルバイトの毎日を送っていたので、どろんこ村には正直に言うと新しいものの発見という好奇心を求めてきたようなものだったから、毎日用意されるおいしい料理、おしゃれなインテリア、食器、かわいい動物たちに、楽しい農作業に対し、感動する日々だった。
 一日を時間単位で区切られ、労働が資本へと換えられる世界で生活する私には、農業という自立した時の流れ、自らにストレートに伝わる自然の感触を肌で感じられること、何よりも自然体でいられることが、自分の生活とは違って見えてうらやましく思った。
 しかし、よくよく自分の生活と比較してみると、一概に自分の生活を否定するのではなく、自分の生活を肯定的に見つめ直すことにつながった。世間には形は異なってももととなるものが、同じものが多く存在する。私は農業で得たような「生きる実感」を今の生活でもえていると実感することができた。それが毎日のことなので見失いがちになってしまうが、、、、、、、、。どろんこ村では私のように日々の生活を見つめ直す場でもあってほしい。なぜなら、自分の生活と照らし合わせることが、新しいものと古き良きもの両面をしっかり見ることができると私は考えるからだ。
 そのような点からどろんこ村を批判するならば、どろんこ村は理想やよい面ばかりを全面的に出していると思う。苦労する面や悪い面もひっくるめて見ることで、理解することや得るものがあり、そうすることは自らの生活と比較する上で重要ことだ。このことは結局ところ、どろんこ村が目指す「田んぼを大切にしている地域社会をつくる」ことに関わるだろう。来客に気をつかってか、冷房がいつもかかっていたのは、自分の生活以上に自然から遠ざかっているし、必要以上に近代的だという面もうかがえる。これでは季節を告げる風や、虫の音に触れられない。
 また古くから伝わる生活様式、伝統的な生活の工夫などが見られなかったことが残念に思う。近代農業に片寄った今の農業、農家の暮らしを変える新しいスタイルを求めているどろんこ村が古きよきものを尊重することの矛盾と困難がうかがえる。しかし、矛盾と困難は発展する可能性を示すもので、どろんこ村に対する期待は大きい。実際に自分の生活を見直すチャンスを与えてくれたのはどろんこ村だ。これからも発展途上の場として、ますます充実した「田んぼの学校」「どろんこ村」になってほしいと思う。
 
<早野コメント>
どろんこ村の体験が、自分の生活を見直すきっかけになったということですね。
理想ばかりでなく、いい面も悪い面も含めて日常の生活を見せてくれることが、自分の生活と比較する上での重要と考えるというふうにとって良いのでしょうか。どろんこ村が地域社会に働きかけていく上でも、「どろんこ村」からの発信の仕方が、いい面も悪い面も含めて農業とは何かを考えさせるものであって方がよいと早野も思います。

人の性格などで、嫌なところはすぐ目につくがいいところ探しはなかなか難しい。そういう点でどろんこ村は悪いところを感じられなかったので、今回批判のポイントはなかなか困難に感じる。あえて目を鬼してきになったものをあげていこうと思う。
@ 計画性に欠ける
「食事当番の子、山に行っちゃった」とか行き当たりばったりの部分があるのではないか。しかし、天候や自然現象的な要素が加わった場合は仕方ない。
A 草の多さ
無農薬だから草が生えてくるのは当たり前。しかし、草むしりなどをしてもう少し草を減らしておけば収穫のときの負担が減りそうな気がする。すごく、手間がかかりそうだからボランティアとかを募るといいのではないか。
B 朝遅い
農家の朝はもっと早いと思っていた。だからそれにあわせてもう少し早くてもいいように思えた。
C 車の安全性
「運転が早い」というよりも、定員オーバーではよくないのではないか。軽トラックの荷台に乗るのは田舎でしか体験できそうなので楽しかったけど、捕まったりしたら意味がないように思う。

あと、直接どろんこ村に対しての批判ではないがプライベートとの分離が大変なのではないか。例えば、風呂。家の方を使わさせていただいた時なんだかとても悪い気がした。来た人に、生活をさらけ出さなければいけないと思うととても大変ではないか。きっと隊長が「普通の家がいい」と言ったのはこの辺にあるかなと思った。しかし、普通では接することができない自然や人々に出会えるので、一概によくないことはできない。どろんこ村に住んでいることをうらやまがる子もいるのだから、お互いに「ないものねだり」なのかもしれない。
 さんざんお世話になっておいて、批判点をつらつらと挙げて非常に失礼なことをしているようで心苦しいが、これからもたくさんの人に愛されるどろんこ村になるようにもっと改善されていくといいな、と思う。

<早野コメント>
どろんこ村の人たちがプライベート空間をどう思っているか、来訪者との関係をどう思っているか一度聞いてみたいですね。


今回、どろんこ村ゼミ合宿に参加して、どろんこ村という自給自足の生活を3日間ですが体験して、全ての作業がとても思っていたより大変でした。しかし、自分の育てた食物なら、安全性など自分が一番わかっているしとても安心できるし、やはりとてもおいしく食べることができました。このように、どろんこ村のいい所をあげればきりがないけど、あえて批判点を書く今回のレポートで、すごく考えたのだけどどうしても思いつかないので、どろんこ村を含め農家や農業をしていることに対しての批判点をあげようと思います。というよりは、私の実家は昔からずっと続く農家なのですが、今まで私が自分の実家が農家ということで持っていたりした不満や思いを書こうと思います。まず、常に私が思っていたことは、年中とにかくやることが多いことです。ものを育てるには、人手や手間がかかります。休日で家族と出かけたいと思っていても、どこかの畑の消毒とか、とにかくすることが多くて、なんだか、家族でゆっくりする時間が余りないように思います。ものを作り育てることは、とても良いことだとわかっていても、育てるに人にかかる負担は大きなものになります。どろんこ村で座談会をする前まで、私は、自分の家が農家だということが正直嫌でした。うちの祖父は、とにかく毎日、農業をして生活していて、そのことで家の中でけんかをしたりするのは結構あったりして、なんでもっと他の趣味を見つけないのかと思っていました。でも、小笠原さんは、仕事と趣味が統合型だということを聞いて、なるほどと思いました。だけど、やはり、家族全員が、同じ気持ちでやっているかというと、そうではないということも事実です。
 以上のような不満を確かに自分は思っていたけど、実際、どろんこ村に来て、10あった不満は5ぐらいになりました。農業に対して、不満はあるけど、いいところもそれ以上に発見できたので、この合宿はとてもいい体験になりました。

<早野コメント>
農業をしている人の休日はあるのかどうかということですね。後,渡部さんがいっていましたが、農家での女性の位置、役割についても見ていかなければならないでしょう。女性は家事も農作業もなると大変なのではないでしょうか。また、女性が農村の男性と結婚して、農業に従事するのを嫌がる傾向のあるということも考えなければなりませんね。


私はどろんこ村に行って感じたことは、私の実家とあまり変わらないということだ。それはどろんこ村が環境に優しいように力を入れているといっても、生ゴミは畑に持って行って肥料にすることや、できるだけゴミを出さないということははっきりとわかったけれど、これは私の実家でもずっと前からやってきたことである。だからこの点ではどろんこ村が特別なことをやっているのではなく、あたり前のことをやっていると思う。
 また、どろんこ村は宿泊施設と田んぼ、畑や鶏小屋などの場所が離れすぎているように感じられた。農作業に軽トラックなどの車が必要だということは、田舎に住んでいたのでよくわかるし、土地の問題だから難しいというのもわかる。しかし、もっとそれぞれの場所が近ければ、農業体験する人が自分たちで移動できるのではないだろうか。そうすれば、農業体験をする人がもっと自然に感じることができると思う。 
 いつもやっている普段どおりの農家の仕事を体験するということだったけど、あんなに暇な時間があってもいいものだろうか。あれだけの仕事で生活できれば何の問題もないのだけど、他のことをやってもよいのではないかと思う。昔、親が乳牛の飼育をしていた時も仕事は朝と夜がほとんどで昼はあまりやらなかったけど、農業体験とすると私にとっては少しものたりないもので、もう少しいろいろなことをやってみたかった。
 ここまでどろんこ村の批判点、矛盾点を書いてきたけど、農業体験はとても楽しくできた。機会があればまた行きたいと思う。

<早野コメント>
普段はもっと忙しいと思います。以前は、ゼミで来たとき、今よりもずっと働いて、2日目に疲れきってしまったことがあるので、農業体験を楽しむという方向に方針を変えたのでした。しかし、楽しむだけでなく、農業をしっかりしたいという希望もありますね。それは、農業体験を通じて何を学ぶかということと「どろんこ村」の方針とかかわってきます。それは、今後、「どろんこ村」と調整していくことだと思います。

 
「田んぼに入ると大人も子どもにかえってはしゃぐよ」という、おじさんの言葉どおり、私はいつの間にか田んぼの土のぬるぬる感の虜になってしまっていた。小学校3年生以来の田んぼだったが、気持ちはその頃に戻ったようだった。感触を楽しむだけならよいが、作業をするとなるとやはり腰にくる。農業は体力があっても、暑い中姿勢を一定に保って同じ作業を続ける根気がいるものだと実感した。そして、そのことで今までより農作物を感謝の気持ちで食べられるようになった。おばさんの「安い輸入野菜を買っても何も文句は言えないけど、苦労して農業をしてる人たちがいることも心に留めてほしい」という話でその気持ちはいっそう強まることになった。
 私たちは2日間、米に関しては昔の農法を体験させていただいたが、その中には効率よく作業するためのたくさんの知恵がつまっていた。機械がない時代は人が知恵を絞りあって工夫してきたのだと感じられた。農業だけでなく何でも通じることだが、もう既に現代人の身の回りには便利な機会や道具がそろっているのでそれに頼りきっているが、昔の人のように、より良いものを目指してこれからも生きていく限り創意工夫していかなければならないことを学んだ。古くからの知恵と現代の新技術が融合すればよい循環であると思う。
 "循環"と言えば、どろんこ村の生活もまさにそうである。人が食べ残ったものや野菜のへたや種をヤギが食べ、次に鶏が食べ、次に田畑の肥料になり、それで土が肥えていく、というようだ。だから料理も自然のもので、家族の皆さんも自然体で生き生きしていた。そこで様々な体験やお話を聞けたことは、私にとって良い経験となった。
 こんなに素敵なところの批判を挙げるとすれば、どろんこ村は農業を多くの人を広めるのが目的であるのに、少し視点が曖昧になってしまっている点である。確かに小学校のファームステイなどを行っているが、鶏の解体やヤギの乳搾りなど、人によっては農業よりもそちらの方が印象に残ってしまうかもしれない。私自身は、農業だけでなく様々な体験ができたことがうれしかったし、勉強にもなった。子どもたちにとっても小さい頃からいろんな体験をするのはとても良いことだと思うので、それが悪いことだと決して言えないが、農業自体を広めていきたいのであれば、もう少し視点を変えていったほうがよいかもしれないのではないか、と思った。しかし、座談会でおじさんがそのようなことをおっしゃっていたので、常にどろんこ村の皆さんは問題とぶつかりながらも奮闘していらっしゃるのだと思う。そんなみなさんを応援したい気持ちでいっぱいである。

<早野コメント>
この意見は、前にも出ましたね。農業体験で何を伝えるかという「どろんこ村」の方針をめぐる問いです。


どろんこ村の批判点というのは、とても難しいです。強いてあげれば、もっと全国の皆にどろんこ村のことを知ってもらえるような努力をした方がいいのではないでしょうか。えらそうにいって申し訳ないのですが、、、、、、。どろんこ村のことは本当に批判点が見つからないようなくらい素晴らしいところだと思います。都会から田舎を求めて移り住むという人たちが、増えている今、移り住むにはちょっと・・・・・という人たちのためにこのどろんこ村の農業体験というのはぴったりと思うのです。お金を払えば自分の田んぼももてるし。でも、どろんこ村はホームページが開設されていますからリンクとかもなくていまいちどろんこ村の情報が広まっていないような気がします。だから、もっと他の農業系のホームページにリンクしてもらうとか、雑誌やテレビなどに売り込むとかそういうことをしていくと農業体験の人やケーキとかを食べに来る人が増えて収入が増えてくると思います。そうしたらもっと従業員が増えるし、今人手が足りなくて活用されていない土地も活用されてくると思います。


私の知っている農家はみんな朝早くからやっているので、どこの農家でも朝は早いものだと思っていた。それに比べると、どろんこ村は遅いと思った。だからと言って、特別遅くまでやっている感じでもなかった。人手が足りなくて間に合うかどうかというなら、毎日少しだけ早くはじめるだけでもかなり変わると思う。
 作業中にどろんこ村の方と話していたら、どろんこ村の農作業には計画性がないと思った。どろんこ村の田んぼは三ヘクタールとかなり広かった。そのため、一つ一つの作業をする場所が遠くて移動するのに時間がかかった。なるべく早く移動しなくて言いように、同じ時期にできる作物は近くで作るように場所を考えてやったほうがいいと思う。
 また、私が今まで見てきた田んぼや畑よりも、どろんこ村のは雑草が多かったような気がした。稲刈りをしていても雑草が多すぎて稲が隠れていたり、刈った稲の中に雑草がたくさん混ざってしまった。しかし、どろんこ村の作物は無農薬ということで、これは仕方がないことだとも思う。除草剤をまいてきれいに田んぼにすることよりも、少しくらい雑草が多くて手入れが大変だとしても、体に良いおいしいものを作ろうとしているところは、素晴らしいと思う。
 稲刈りをしていたとき、私は素足でやった。普段経験しないことなので楽しかったが、帰ってきてから聞いた話で、私の家の近くの田んぼは感染症にかかる危険があることも考えて素足では入らないようにしているらしい。渥美のほうは安全かもしれないが、むやみに入るのは怖いと思った。

<早野コメント>
感染症のことは、どろんこ村の人に聞いてみたいですね。
 

自然がこんなに近くにあることを、どろんこ村に行って改めて見せられた気がした。それは田んぼや畑の作業をする中で見たものからだけではなく、まず、周りの緑の多さからして感じられた。数年前まで田んぼだったその場所も今では民家となってしまったということはよくあることで、私の住む家の周りも同様に、年々田んぼや畑が違う姿に変わっている。自然と仲良く生きていくのには、人間が自然環境への考えを改めといけないと思う。どろんこ村で私の目から見て感じたことを書いてみようと思う。
 天気があまり好ましくない日というのは昼間であっても薄暗くて、部屋など建物の中ではその暗さがよりまして感じられる。そうでなくても、建物の造りや方角によって陽がとどかず、天気のよい昼間であっても暗いと感じられるところもあるだろう。どろんこ村に行って食事を食べていた時、どうしてこの部屋はこんなに明るいのだろうと、ふと思った時があった。何気なく天井を見上げらたらそこには天窓がいっぱいにあることで納得した。その天窓から太陽の光が入ってきていた。いつでも好きな時間に明かりを手に入れることができるようになった時代。だから昼間の明るいうちではなくても、朝から雨の振る薄暗い日でも、太陽の光がとどかないような部屋の中でさえも、照明という器具を使うことで時間に限りなく活動できるようになったと思う。ただ、これでよかったと思ってしまってよいものなのか。電気は限りなく存在しているものなのか。近頃では、太陽の光を利用して電機に変えるソーラー発電の装置を取り付けた家や会社を目にするようになった。自然のエネルギーを利用するのは、何の遠慮もいらないはずである。与えてくれるエネルギーを最大に利用できたら節電できるものはもちろん、なんだか心地よく感じられる。
 もう一つ気になったことは、自動車のことである。どろんこ村の家から田んぼや畑、鶏小屋に行くまでの道のりは、歩く距離というよりも、乗っていく距離だと言ったほうが、妥当だと思われる。体験の間も幾度と乗らせてもらっていた。自動車に乗ることで発生する環境への影響といえば、やはり排気ガスだと言える。ここ数年前ごろからはこの環境への影響を考えて、電機で動く自動車が製造されている。排気ガスが与える環境への影響は、直接目に見えにくいものだから人ごとのようにとらえがちだし、悪影響であるということがなかなか確信からその後の行動までつながっていない。
 どちらのことについても、どろんこ村に限らずどの家庭においても言えることだと思う。人の出入りも多く、電気の使用量も多いと思われるどろんこ村においては、このソーラー発電を使う価値は環境のことも考えると十分にあると思うし、自動車のことについても、乗る機会が多いからこそとは言えないけれど、電気で動く軽トラックやどろんこ村号に変わったら、もっと自然と仲良くなれるのではないかと思う。米を作るにしても野菜を作るにしても、どろんこ村のような考え方のもとで行うことができるようになったら、自然がもっと広がっていくように思えた。それにともなって、環境も改善されていくのではないだろうか。

<早野コメント>
電気自動車の件や、ソーラー発電の件は、聞いてみたいですね。
 

批判点というのは難しいのだが、今回の農業体験で気になったことは、田んぼの草がかなり成長していたし、多かったことです。作業をする人数は限りがあるし、作業をする所も多いので手がまわらないのかもしれませんが、田んぼで稲を育てて農業として広めようとするなら、田んぼの仕事をして草の除去が必要だと思う。そうでなければ、ただ荒れた土地になってしまうのではないかと感じた。
 「無農薬のため、工夫している所がある」とおっしゃっていましたが、どこを工夫しているのか見えませんでした。私達が作業をしたのは一部分だけだし、話としても聞けなかった。農業を広めるなら、工夫している所とかも紹介することも大切だと思う。最近では田んぼに鯉を放したり、鴨を放したりして草を育たなくする工夫も始まっている。これによって除草の手間がはぶけるだけでなく、他のことに時間が使えるし、楽ができる。農業は大変なイメージがあるから、少しでも楽ができたり、自然を使う工夫の楽しさを感じて作業ができるようにすることで広がるのではないか。社会へ農業を広めるには、こういう所にも目を向けていく必要があるとおもう。
 ねぎを植えかえる時、機械を使ったけど、あまり大きい範囲ではなかったし、私達は人数も多かったので、鍬を使ったりする作業をしても良かったのではないか。機械は費用もかかるし、何かを作るときに必ず必要なことであり、作業の一つになる。農業は人の力を合わせてやるから、それを感じるにも良かったと思う。
 その他に環境について考えてみると、足を洗った所では無駄に水が出ていた。水が出る所が遠かったり、汚れが落ちにくいということもあって、少し水をためてこすってから流すというようにした方がいいと思う。そうすることで他の所にその水をまいたりして活用できる。
 どろんこ村に近い場所に空いている田んぼや畑があった。所有者がいなかったり、使わないところなら使えないかと思った。近い所でやれたら車もあまりいらないし、すぐに行けるので作業もしやすくなるのではないか。
 今回のどろんこ村で私は、自然の循環を感じることができました。本当に体の力が抜けるような環境で良かったです。

<早野コメント>
どのようなことを工夫しているのかということを、やりながら伝えていくことが農業を広めていくということにつながるという意見ですね。

 まとめのコメント

全般として、農業体験を通じて、何かを感性で感じてほしいというどろんこ村の意図は、レポートの随所に見られますね。それが、スーパーに行って感じたり、日常生活の見直しという点にもなっていたりします。あるいは、自然触れる楽しさ、心地よさ感じたり、食べ物がおいしいと単純に感じることから農業を見つめなおしてほしいという意図は伝わったのではないでしょうか。
ただ、農業を非日常的にあるいは理想的に伝えるのではなく、どろんこ村の農業としての日常の部分やそれの良い面や悪い面も含めて伝えるべきだという意見がありました。また、情報の発信の仕方、実際の生活の上での環境問題との矛盾する点、農業と休日の問題などいろんな意見がありました。この点については、「どろんこ村」さんのほうからの回答を待つことにします。

 早野より「どろんこ村」さんへ

「どろんこ村」には、多様な面があると思います。その一つに、農業の楽しさを、体で感じて、時間をかけて、感性を育んでほしいというお二人の大きな本来の意図があると思います。都市と農村を結び、都市からの一方的発信ではなく、逆に農村から都市への発信をしていくというのが当初からの方針でした。都市から農業を体験に来てもらうことで、農業はつらくて、しんどいというマイナス・イメージだけではなく、自然にふれあい、食べ物を作るということは、人間にとって基本的なことであり、本当は、楽しいことなのだということを伝えることを目標にしてきたとお聞きしてきました。そして、それを、言葉だけではなく、体で実感することがお二人の考えておられます。
この最初の意図は、農業の楽しさを次世代にどう伝えていくかという教育という形に具体化し、深まっていったとお二人は述べています。(その過程に早野ゼミが少しでもかかわらせていただいたとしたらありがたいと思っています)その具体的な取り組みとして、夏のファームステイ、田んぼの学校、CDの教育ソフトの作成という流れがあると思います。
他方で、「どろんこ村」は、地域への働きかけという運動的側面もあると思います。町長選のとき公開質問を行ったりしています。また、地域のさまざまな人たちが集まってきています。一面、地域のセンター的な役割をもっているのではないでしょうか。それも、農業という単一のものだけでなく、芸術品の展示など、幅広い多様で複合的な機能を地域で持ち始めているように思います。今後、「どろんこ村」に農業を中核に教育だけに限らず、複合的な機能を持たせて、地域に発信し、全国の似たような試みのところとネットワークを結んでいくことが期待されます。その場合、「どろんこ村」という具体的な場所と空間があることがとても大きな意味を持っていると思います。「どろんこ村」といういま、そこにしかない独特の場所と空間、時間の流れを持っていることが、大きな力です。これがないと、いろんなところとつながっていっても、足元がない不安定なものになると思いますし、発信そのものが薄っぺらのものになってしまうと思います。その空間を大事にしてください。

このように多様な面をもち、また、今後、多様性を広げていける可能性を持った「どろんこ村」ですが、現在、外から来る人といっても、初めての人、リピーターの人、長短期の研修生、地域の人、マスコミ関係者などさまざまです。その人たち誰もにすべての顔を見せているわけではないと思います。もちろん、家族の私生活の部分も。私も、何回かのリピーターなのですが、どろんこ村の顔をすべて知っているとはとてもいえません。

学生たちの多くが農業体験で農業の楽しさ、食べることが基本であること、自然の中で生きるリズムと楽しさを実感したと思います。それは、どろんこ村の顔の一面です。学生の中にはどろんこ村の別の顔を見たかった人もいました。その面に何を学生は期待しているかは学生ともっと話していく必要があると思います。しかし、別の顔を見たいという希望は、それに対応するかどうかは別にして、大事にしなければならないと思います。そこに、何かヒントがあるかもしれないです。

例えば、別の顔を見たいという学生の中の一人の意見として良い面だけでなく、苦労している面、悪い面も合わせて伝えるべきだという意見がありましたが、私は健全な意見だと思います。確かに、矛盾点を初めてきた人とコミュニケーションしていくなかで了解するのは、かなり、勇気と信頼関係がいるので、やり方があると思いますが。しかし、学生も書いていますように、矛盾や軋轢から、現実が前に進むことはよくあることだと思います。白か黒かでなく現実は多くの矛盾を抱えながら、その矛盾の中で、どう前に進めていくかだと思います。その点は、どろんこ村のお二人も日頃、語られていることですのでここで確認するまでもないと思います。

哲学者のヘーゲルは、「限定された否定」ということを言っています。ものごと全部を、全面否定し、それに対し前面肯定を求めるのではなく、個々のケースでの部分的な否定からものごとが善き方向に進んで行くという考えです。白か黒か、100%、イエスかノーかではないのですね。

今回、あえて、「どろんこ村の批判点をあげよ」というテーマを課題としたのは、素直すぎると思われる学生が多いことを危惧してのことです。体験学習は広がっています。そのことを楽しんでいる学生も多くいると思います。しかし、それが、いわゆる「体験主義」になっていくとき、純粋な感動や体験を追い求めだけのファシズムにつながる危険はないでしょうか。すでに、社会はそれに近いようなところがありますが。もちろん、「どろんこ村」が「感性」を通じて、学んでほしいということは、このことではないことは重々承知です

単なる「体験主義」に走らないために、必要なのは、ものごとを客観視する言葉、独断から離れ、人との違いを気づかせるコミュニケーション、そして、現実の中で矛盾を自覚しつつ、白か黒の選択ではない前進のあり方でしょう。今、社会は、ものごとに純粋さや癒しだけを求める傾向が強いように思いますが、それは、神話を追い求めることにならないでしょうか。自然回帰というのも一つの神話だと思います。私は、現実の生活の矛盾をしっかり見据えた上で、進んでいくことが、今日のプレ・ファシズム的な状況に対する最大限の抵抗であると思います。

「どろんこ村」を囲む自然、そこに集う人の場所と空間と時間がかもし出すものは、何回もそこに行きたく思わせる貴重なものがあることは、訪れるもの誰もが感じるものです。そこを「ホーム」と思う人もいるでしょう。その基盤の上にたって、批判的なコミュニケーションの場をどれだけ広げられるかが課題であると思います。

しかし、実際にはそれを求められているようですが、その問いかけが外からされないと、なかなか対話が始まらないようですね。しかし、信頼できるならば、外来者に「どろんこ村」の矛盾点を伝えてみてもよいのではと思います。良いところといっしょに。そして、できたらそのやりとりを公開するということができたらもっとよいと思います。

「どろんこ村」がこの大変な時代にどのように生き残っていくのか不安がないわけではありませんが、一方で、次世代に何を残していくのか楽しみでもあります。
それはすぐ形となるよりも、後になって、だんだんと形としてあらわれる性格のものであることを私は知っています。むしろ、いま、形とならないがゆえに、その形なきものは、この先行き不安な大変な時代を渡り歩いていくのだ、という希望を抱かせるのです。
どろんこ村がめざすもの、そしてそれに集う人々を見ていると、この先が見通せない時代、個人主義がはびこり、人々が、サバイバルゲームを繰り広げる一方で、強いものに付き従いたいという権威主義が大勢を占めつつあるこの時代に、長らくこの国で失われていたこと、つまり、「主体的に歴史を生きる」という人間の態度が、そこにおいて、再び、可能になるのではないかという期待が起きてくるのです。