どろんこ村滞在記

             木下 千稲

<出会い>

 どろんこ村との出会いは、今から約2年前。OL1年目の冬休み、農業体験がしてみたいとふと思いたち、訪れたのが始まりだ。それ以来、すっかりどろんこ村の魅力にとりつかれ、ふるさとに帰るような気持ちで度々足を運ぶようになった。

<1度目の滞在・・・‘98.12/27〜12/30>

@     初めての農業体験

生まれて初めてトラクターを運転した。山に一番近い静かな畑で、ネギを植えるための土ならしだ。おじいちゃん(当時はご健在)とおばあちゃんが親切に教えてくれるのだが、

不器用で物覚えの悪い私はなかなか上手に操作できない。

 別の畑では、春菊の収穫と袋詰めを手伝った。中腰での作業はなかなかしんどい。慣れない私はすぐに腰が痛くなりペースが落ちたが、おじいちゃんとおばあちゃんはスピーディーに黙々と作業をこなしていく。

 何しろ全てが始めてのことばかり。畑の畝と畝との間を、何ともぎこちない足取りでヨロヨロ歩いていたら、後ろから弘さんに笑われた。太くて大きな大根を引っこ抜くのにもひと苦労した。ちょっと動いただけで息を切らしている。都会育ちのこの若者は情けないなあと思われたことだろう。

 正直なところ、農業がこれだけ知恵と力を必要とする仕事だとは思わなかった。性別や年齢にあまり関係なく、夫婦や家族が協力して、寒かろうが暑かろうがどんな作業もこなしていかなければならない。女性が実に元気にたくましく見えた。

A     自給自足

a千美江さんのケーキ

東京からはるばるやって来た私を、千美江さんが特製のシフォンケーキとコーヒーで温かくもてなしてくれた。これが、今や噂となっているあのケーキだ。都内の有名なケーキ屋を食べ歩いたこともある私だが、千美江さんのケーキはもう別格だ。不思議なことに幾つ食べても飽きることなく、食後でも無理なく食べられる。上品で自然な甘さと軽い食感で、胃にもたれることがない。こだわりの自然の素材を惜しみなく使って作られた本当に美味しいケーキは、生クリームのデコレーションなど不要なのだと思った。

このケーキの命となっているのは、どろんこ村で飼っている鶏達が産む卵だ。形が不揃いだったり、ヒビが入っていたりして出荷出来ない卵を有効に使おう、とケーキ作りを始めたそうだ。ベーキングパウダーなど一切使わず、卵の力だけでフワッとふくらますこのケーキ。材料は小麦粉、砂糖、サラダオイルに卵だけ、といたってシンプル。いずれも厳選したものを使っている。

b千美江さんのお料理

どろんこ村に行くと、必ず私は太って帰って来る。千美江さんの作る美味しいご飯に美味しいケーキ。畑の恵みと鶏の命をいただいて、心づくしのご馳走が食卓に並ぶ。

ある日の朝のメニューは、産みたての卵を使った目玉焼き、ひじきと大豆の煮物、大根のお味噌汁、赤米のご飯、かぶの浅漬け。昼食は、朝とってきた小松菜を使った和風スパゲッティ。夕食はフルコースだ。鶏刺し、大根のサラダ、トマトときゅうりのサラダ、ハンバーグ、ささ身フライ、ポテトとひき肉のグラタン、スパゲティ・ミートソース、ねぎの和風スパゲティ、かぶのクリームシチューなどなど。

どろんこ村で使うお肉は鶏肉のみであるが、実にバラエティーに富んでいる。和風、洋風と様々に趣向が凝らされていて、それぞれに異なった鶏の美味しさが味わえる。

鶏刺しは全く臭みがなく甘味があって、これを食べたら他では食べられないだろう。また、普段スーパーで買う鶏のミンチは淡白で味気ないが、どろんこ村のハンバーグを食べて驚いた。醤油やソースをかけなくても、鶏肉自体にコクがあっていい味を出している。そして大根。東京で食べる大根は水っぽくて美味しくない。どろんこ村の大根は煮ても良し、生でも良し。身がしまっていて甘いのだ。

一般に自然食と言うと、体には良いけれども味は二の次というものが多い気がするが、どろんこ村の場合は違う。愛情こめて育てた素材を、それぞれに合った最も良い方法で調理してくれる。夏のファームステイに訪れて、ここの料理をすっかり気にいってしまい、冬には早速、お母さんを引っ張って連れて来た男の子もいるぐらいだ。

B     餅つき大会

どろんこ村の年末はいつも賑やかだ。夏休みなどにゼミの研修で農業体験に訪れた大学

生、短大生達が一堂に会して、餅つきをすることになっている。学生達とどろんこ村との交流は数年前に始まって以来、彼らの後輩の代にまで受け継がれ、その内の何人かはどろんこ村の行事を支える若い力として活躍しているようだ。

 私も運良く餅つきに混ぜてもらった。初めは皆よく手順がわからないということもあって、前の晩のもち米の仕込みから火にかけるところまで、弘さん千美江さんがお膳立てをしてくれた。中庭で火を炊きもち米を大きな釜で蒸らしている間に、きなこやあんこ、大根おろしを準備する。やがて、蒸しあがったもち米を臼に移して餅つきの始まり始まり。最初は粒々が目立ったもち米が、皆の力強いひとつきによって次第になめらかになっていく。私も杵を手にして挑戦する。杵は見た目以上にずしりと重い。やっと担ぎ上げて振り下ろすと同時に、体がよろけてしまった。なかなか良い音が出なくてがっかりした。

つきたての餅の塊は、真っ白でふんわりしていて思わず触りたくなる。細かくちぎって、きなこやあんこや大根おろしと和えていただいた。つきたての餅は言うまでもなく美味しい。いくら手間がかかっても、大勢でやるからこそ楽しいし、意味があるのだろう。

2度目の滞在・・・‘99.5/3〜 5/6>

@     高校生達との触れ合い

どろんこ村の不思議な魅力にとりつかれた私は、4ヵ月後のゴールデンウィークに再び

どろんこ村の土を踏んだ。どろんこ村では、長期・短期を問わず住み込みの農業研修生を受け入れているが、折しも大学生一人高校生二人が研修中だったので、彼らと共に農作業をすることになった。

 どろんこ村では、約1000羽もの鶏を平飼いしている。まず初めは、鶏の餌やりだ。10kg詰めの袋一杯に入れた餌を抱えて鶏小屋に入ると、鶏達のけたたましい鳴き声に圧倒される。餌は重たいは鶏はつついてくるはで大変だった。餌をやり終わったら、今度は鶏達があちこちに産み落とした卵を拾う。それから小屋の外に出て、所定のボックスに産み落とされた卵を集める。まだほのかな温もりがする卵もあって、そっとかごに入れる。

 ところで、鶏達の餌の原料となるのは畑でとれたトウモロコシなどの野菜だ。畑の野菜を食べた鶏が糞をして、その鶏糞が肥料となり再び畑へと還っていく。なるほど有機農業とはこのようなことを言うのか、とこの時初めて理解したのだった。

 鶏糞を詰めた10kgの袋を何十個も軽トラにのせて、ラベンダー畑へやって来た。1人1袋を担いで、1列ごとに鶏糞をまいていく作業。これがきつかった。担いでいるだけでも大変なのに、それを少しづつ移動しながら、均等に土の上にふり落としていくのだ。         

翌朝は案の定、腕が筋肉痛で辛い。午前中から山に近い畑に出かける。土をならした後ピーマンの苗を植えて、1本1本支柱を立てて茎をくくりつけていく。初夏を思わせる強い陽射しが照りつけ、汗だくになる。のどがカラカラになりお腹も空いてきた頃、おばあちゃんと千美江さんと南ちゃんが差し入れを持って来てくれた。何とありがたいこと。地べたに座りこんで、心地よい風を受けながら休憩をとる。太陽の下で体を動かすことの喜びをかみしめる。

その後、長ネギの花を摘んだ。花の方に栄養がとられないようにするためだという。

ネギの花は白とピンクの毛糸のボールのようで可愛らしい。気がつくと、高校生2人が

摘んだ花でキャッチボールをしている。そのうちにボールのぶつけ合いになって、何やらとても楽しそうだ。自然の中にもこんな遊び道具があるんだな、と微笑ましく眺めていたが、実は私も一緒に遊びたかった。

 当時私は、毎日朝から晩まで無機質なオフィスビルの中で過ごしていたが、太陽の下で

泥んこになり汗まみれになって体を動かすことで、心も体も解き放たれたようだった。

A     人々の集う場

私はどろんこ村のリビングが大好きだ。手作りのログハウスの室内は、床にはレンガが敷きつめられ、暖炉と一枚板の大きな木のテーブルが二つに、ピアノが置かれていて、弘さんの親友の彫刻家石川理氏の作品がさり気なく飾られている。私のような遠方からの客だけでなく、地元の人々が足繁くやって来てはくつろいでいく。ある時は近所の婦人グループの会合が開かれたり、またある時は地元の高校の同窓会が行われたり。

ちょうど私の滞在中、弘さんの母校福江高校の美術部の同窓会があった。中には美術の先生という方もいて、美術が苦手だった私は一瞬構えてしまったが、何てことはない。陽気で気さくで話好きなおじさんが多く、話を聞いていて勉強になった。私にとってどろんこ村は素晴らしい出会いの場だ。

そしてどろんこ村は、ノイローゼに陥った学校の先生、親の手に負えなくなった高校生など、様々な問題を抱える人々を寛大に受け入れる。弘さん千美江さんご夫妻のキャパシィティーの広さは尊敬に値する。

<3度目の滞在・・・‘00.12/28〜 12/30>

@     いくつもの変化

20世紀最後の年の暮れ、久々にどろんこ村を訪れた。この1年半の間に、私個人に

大きな変化があった。子どもと関わる仕事がしたいと思いたち、教師になることを決め

て会社を辞めた。その報告をしがてら、どろんこ村の‘今’が見たかったのだ。

どろんこ村にも色々な変化があった。まず画期的なのは、ホームページを作ったこと。

どろんこ村のプロフィールに始まって、いよいよ本格的に動き出そうとしている‘田んぼの学校’の紹介。日々の出来事や収穫の様子を写真と共にのせた‘農業日誌’はなかなかの力作。季節ごとの様々な行事について詳しく紹介する‘どろんこ村通信’。千美江さん特製のケーキやクッキーがオンラインで注文出来る‘畑のケーキ屋さん’。どろんこ村とつながりの深い、彫刻家石川理氏と陶芸家小出寛氏の作品を展示した‘ギャラリー’など内容は盛り沢山で、見応えのあるホームページとなっている。

既にどろんこ村を知る者にとっては、その存在がますます身近なものとなり、また一言ではなかなか言い表せないどろんこ村について、さらに多くの人達に知ってもらうための、便利な手段が出来て良かったと、弘さんは喜んでいた。

農業日誌など、毎日打ち込むとなると負担もかなりあるだろうが、2000年4月から住み込みスタッフとして働く坂井君が、農作業の合間に頑張っている。また、もう一人の頼もしい存在は、地元の大工・河合さんだ。‘困った時の河合さん頼み’と言われるくらい、どろんこ村になくてはならない、貴重な助っ人となっているようだ。

その他の変化としては、畑のケーキ屋さんが可愛らしい看板を掲げると共に、立派ショーケースを置いて、喫茶スペースも設けたことだ。ケーキやクッキーの種類も一段と増えて、奥のキッチンからは一日中甘い香りが流れてくる。

最後に、どろんこ村の愛娘南ちゃんの成長ぶりを記しておきたい。初めて会った時はまだ保育園に通っていた南ちゃんも、もう小学校2年生。顔つきもだいぶお姉さんらしくなってきた。動物の世話に畑の管理、出荷作業に加えて接客、調理と多忙を極める両親だけに、かまってもらいたい甘えたいという欲求が思うように満たされず、以前はよくぐずっていた。今回印象的だったのは、日々の疲れをためこんでカチコチになった‘おとう’と‘おかあ’の肩を、一生懸命揉んだりたたいたりしていた南ちゃんの姿。

物心ついた時から沢山の大人達に囲まれて、様々なお兄ちゃんやお姉ちゃんに可愛がられ、ファームステイにやって来る同世代の友達との交流の中で、影響を受けながらも多くのことを学んだり、考えたりして大人になっていく南ちゃんの成長を、陰ながら見守っていきたい。

A     弘さんの背中が教えてくれるもの

年末恒例の餅つき大会のために、名古屋短大の学生が大勢集まっていた。昼間は農作業

に汗を流し、夜は自分達でお鍋の準備をして、楽しく賑やかにお酒を飲んでいた。とても居心地良さそうにしている彼女達を見ながら、学生時代にこのような形でどろんこ村と関わることが出来るなんて、恵まれているなと思う。

 夜もう辺りも真っ暗になった頃、弘さんがやぎのメリーちゃんの乳しぼりに行くと言うので、何人かの学生に混じって私もついて行く。10人以上もぞろぞろと柵の中に入りこんで、弘さんが慣れた手つきでメリーちゃんの乳しぼりをする様子を、じっと眺めていた。いとも簡単そうにやっている弘さんを見て、2,3人が挑戦してみる。ところが、いざやってみるとコツと力が必要なようで、なかなかお乳が出てこない。ようやくお乳が出て来た瞬間、思わず皆一斉に歓声をあげてしまった。すると弘さんの一言。 「こら、メリーちゃんが驚くじゃないか!」・・・そうだ、メリーちゃんは皆の見せ物じゃないんだ、と反省させられる出来事だった。

 都会に住んでいると、やぎなどの動物と触れ合う機会はまずない。ましてや、やぎの乳しぼりなど出来るわけがない。だから、物珍しさで思わずはしゃいでしまったが、弘さんにとってみれば、日々繰り返される生活のほんの一部にすぎない。動物を飼い野菜を育てていく自給自足の暮らしは、都会の生活に味気なさを感じる私にとって、豊かで魅力的なものに映る。しかし、それはまだ私がそのような暮らしの楽しい部分しか見えてないからだろう。1年365日寒い時も暑い時も、朝も夜も関係なく、生き物を相手にするというのは生易しいことではないだろう。

 夜暗いところでもよく目が利き、ほぼ1年中ゴム草履で大地を駆けまわる、分厚い足の裏、どっしりとした大きな手。弘さんの体はその働きぶりを語っているようだ。

<最後に>

 どろんこ村と出会って、もうすぐ2年半が経とうとしている。道に迷ったり行きづまったりして訪ねた私を、弘さんと千美江さんはどんなに忙しい時でも、温かく受け入れてくれた。貴重な睡眠時間を削って、私の話を夜中まで熱心に聞いてくれた。昼間は農作業で体がほぐれ、夜は有意義な語らいで心がほぐれ、自分を縛っていた何かが少しづつ解けていくのを感じた。

 どろんこ村は、ただの農業体験施設ではない。土と触れあい、動物と触れあい、そして人と触れあい、それをきっかけにして、それぞれが自分の生き方を問われる。

私がこれから進もうとしているのは、教育という道だ。農業をベースとするどろんこ村とは直接には関係のない世界だが、やはりどこかでつながっていると信じている。だからこそ、私は自分の土台である、どろんこ村で感じたこと考えたことに誇りを持ち、子供達と関わっていきたい。そしていつの日か、その土台の上に築かれたものを、どろんこ村へ還元出来るような生き方をしていきたいと思うのである。